「カカオ豆を大量生産せよ!」スペイン植民地になったメソアメリカの悲劇

カカオ豆・チョコレートについて

メソアメリカ(アメリカ大陸)がスペイン人の手に渡ったことによりカカオ豆を原料とした飲み物は、スペイン人に支配され、苦い飲み物から現在のココアの原型ともいわれる甘い飲み物へと変化していきます。

スペインがカカオ豆を独占しようとした約100年間の歴史は、スペインに支配されてしまった新スペイン(メソアメリカ)の人々の歴史でもあるんです。


 

<目次>
・カカオ豆の歴史的な旅、いざヨーロッパへ!
・カカオ豆大量生産によって引き起こされたメソアメリカの人々の悲劇
・新スペイン(メソアメリカ)のカカオ豆栽培の衰退
・1人はみんなのために、みんなは1人のために(まとめ)


 

・カカオ豆の歴史的な旅、いざヨーロッパへ!苦い飲み物から甘い飲み物へ

カカオ豆がどれだけの価値があり、どれだけ貴重なものなのかをしっかりと目にしたコルテスは、1528年、スペイン国王カルロス1世への戦利品のひとつとしてカカオ豆を持ち帰り、事の経緯を説明しました。(1517年頃という説や不明という説もあるようです)

この頃には、すでにショコラトルは、スペイン語に“ショ”という発音がない、“トル”という発音が苦手なことから、スペイン人の間で「チョコラテ(chocolate)」と呼ぶようになっていたようです。(語源の説には、さまざまな見解があり、この頃ではなく1570年代という説もあります)

メソアメリカからスペインへ、カカオ豆の輸出の始まりです。

しかし、遠い遠いスペインにカカオ豆を運ぶためには、ものすごい労力と、お金と時間がかかりました。現在のように飛行機があったわけではありませんから・・・

そのため、スペイン本国では高価なものとなり、チョコラテは、皇族や貴族などの高い位の人の間のみで流行し始めます。(薬として病人に飲ませていたという説もあり)

しかし、スペイン人が飲むようになったチョコラテは、まだまだ薬効として飲まれる苦い飲み物で、苦いチョコラテを甘く飲みやすいチョコラテにできないかと考え始めます。

714年頃からすでにサトウキビの栽培をしているスペイン人だからこそのアイデアで、砂糖を加えてみたところ、香ばしい香りはそのままに甘味のあるおいしい飲み物へと変化。
こうしてチョコラテは、現在のココアの原型ともいわれる姿へとつながっていったのです。

1522~1525年頃には、メソアメリカに砂糖を輸入し始めていたこともあり、新スペインの人々が考え出したという説もあります。

新スペインの人々が考えたのか、スペイン本土に渡ってからスペインの皇族の中で考えられたことなのか、どちらの説もあるので、今となっては、それを解明するのはとても大変なことかもしれません。

しかし、スペイン人が考え出したということだけは確かなことで、このアイデアがあるからこそ、今こうして、私たちは、甘くておいしいココアを飲み、甘くておいしいチョコレートを食べることができるというのは、間違いありませんね。

 


 

・カカオ豆大量生産によって引き起こされたメソアメリカの人々の悲劇

新スペインでのカカオ豆の栽培は、スペインへの輸出も含め、新スペインに住むスペイン人がチョコラテを飲むために、大量生産することが求められていました。

しかし、カカオ豆の栽培に携わるようなスペイン人は、ほとんどいません。
メソアメリカの中でも、マヤ族をはじめとするカカオ豆の栽培技術を持つ人々を休ませることなく働かせることで大量生産することを、徹底するようになります。

当時、エンコミエンダ制と呼ばれる制度によって、先住民の人々は、支配するスペイン人から、奴隷として扱われました。
老若男女問わず、大勢の人がスペイン人のいいように働かされ、新スペインのカカオ豆の栽培地は、それはそれは悲惨なものになっていったのです。

~余談~
エンコミエンダ制とは、コルテスのようにある地域を征服して、領地を増やすために貢献したコンキスタドールなどに、スペイン王宮から、その征服した地域一帯を任され、一定数の先住民を一定期間、仕事につかせる権限が与えられるという制度です。

カカオ豆の栽培を主に行っていたマヤ族を中心とする人々は、過酷な重労働を強いられることになり、たくさんの人々が過労死したといわれています。

スペイン人はメソアメリカの先住民の人々を、人としてではなく、奴隷としか見ていなかったことが手に取るようにわかりますよね。

豊富な食物があり、豊かな生活を送っている現代においても起こる過労死。
16世紀の古き時代、それほど栄養価が高くなかったことが予想されます。

その中で、ただでさえ重労働であるカカオ豆の栽培に対し、奴隷としてこき使うということは、過労死をしても何も不思議ではないことです。
奴隷が過労死をしてもなんとも思わない、そんな時代だったのでしょう。

 


 

・新スペイン(メソアメリカ)のカカオ豆栽培の衰退

奴隷化したカカオ豆栽培者たちは、過酷な重労働を強いられ、南米に逃亡する人や過労死する人が相次ぎ、さらに、スペイン人が運んできた新種の病原菌によって人口が激減。
カカオ豆栽培の衰退はとどまることを知らず、栽培地は荒れ果てていきました。

スペイン人たちは、カカオ豆栽培の移植を考え始めます。
しかし、スペイン本国は、カカオ豆栽培には適していないという大きな問題がありました。

カカオ豆は、年間平均気温が約27℃で、1日の気温差が少なく、日照時間が平均5~7時間程度の場所という条件もあり、この条件に当てはめると、赤道から北緯・南緯ともに20度以内に限られます。

※赤道から北緯・南緯ともに20度以内をカカオベルトと呼んでいます。

しかも、年間を通して2,000mm以上(1,000㎜以上説あり)の高温多湿の熱帯地域で、シルト(粘土より粒が大きい泥状の物)や粘土が25~40%含まれているローム系層になっている、水はけがいい場所を好み、それ以外での栽培は難しいのが現状です。

条件を当てはめていくと、カカオ豆栽培に適した地域は、中南米、西アフリカ、東南アジアということになります
どう考えても、スペイン本国でのカカオ豆の栽培は、適していないことが明白です。

そこでスペインは、トリニダード島にカカオの木を移植をすることを思いつき、カカオ豆の新しい歴史が開かれていくことになったのです。

 


 

・1人はみんなのために、みんなは1人のために(まとめ)

「1人はみんなのために、みんなは1人のために」
これは、私が大好きな言葉で、ラグビーなどでよく使われている言葉です。
「1人はみんなのために、みんなは1つの目標のために」という意味だとも言われますね。

チョコレートの原料であるカカオ豆は、メソアメリカやアジアの奴隷になっていた人々の汗の結晶、そして、人々の命の代償ともいえるものであり、お金では買うことのできない価値のある大切なものだということは言うまでもありません。

いつの時代においても、上に立つ人の考え方や振る舞いなどによって、下に立つ人の生涯が変わってしまうことは、よくあることです。
事の大きさに違いはありますが、こんなに平和な日本でも、企業や学校など、それぞれの場所で起こり続けている独裁体制・パワハラ問題と、似ている部分が多々あるのではと感じます。

土地を支配し、先住民を働かせているスペイン人の中に、自ら働こうと異議を唱える人はいなかったのでしょうか?
もしかしたらいたのかもしれません。

しかし、立ち向かう勇気のある素晴らしい人が、たった1人でなんとかしようと試みたところで、まず、解決に結びつくことはないでしょう。
だからこそ、ひとつの目標に向かって、みんなで立ち上がって声を上げ、1人1人がみんなのために動くことで、素晴らしい世界を築いていくことが大切なんだと、強く感じます。

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